2010年08月30日

御佩刀の

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 夜空は曇っていた。月や星の光も射さない闇の中で、ただ蝙蝠だけが飛び交っているのが見えた。
 忍び込むには悪くない。津門藤悟はそう思いながら歩き始めた。
 藤悟は兵主部と呼ばれる忍だ。兵主部は兵法を貴び、武術を好む。その鍛錬の為に、戦働きをする。藤悟はその中で下忍、命じられ、実際に手を汚す立場に他ならない。
 五代家の別邸に人目を避け入り込んだのもそんな生業の一つだ。目的は姫を掠う為だ。五代家には姫が数人いる。中でも花鳥といわれる二人の姫は、その名を広く知られていた。名はそれぞれ長女は花、次女は千鳥といい、容姿に優れ、各地から縁談はひっきりなしであった。
 しかし、後継ぎの男子がいない五代家にあって、姫君たちは婿を迎え、家督を継ぐかもしれない事から、二人とも嫁ぎ先は決まっていない。
 藤悟の役目は、別邸に亡き母を偲んで訪れた、千鳥姫を拐わかす事だった。
 人家の見あたらない山中にありながら、立派な塀を持つ別邸は、五代家の栄えを示している。五代家は瀬戸内の島を牛耳る一族で、戦功によって名を挙げた貴族を、先祖に持つという名家だ。この戦国の世にあっても、没落する事なく続いていた。それは所領とする五代島が潮の流れ上、交通の要所となるからだ。それ故に、各地の大名は、五代との対立を避けた。五代家の方でも、特定の大名と懇意になる事なく、義を持って行動した事から、怨みを買う事なく、今まで続いてきた。
 藤悟は屋敷の塀を越えた。屋敷に入り込むと、多くの見張りの姿があったが、見つかることは無かった。それは藤悟の力ゆえだ。庭の茂みの中を進む様子は、飛ぶ鳥や、風に動く木々のように自然で、見張りのものの注意をひかない。
 藤悟はいくつかの茂みを過ぎたところで立ちどまった。
 茂みの中に男がいた。直垂に侍鳥帽子と武士らしい男で、何かを見ているようだ。そうしたものは、見る事に気をとられて、自分が見られている事に気づかないものだ。
 藤悟は物音を立てずに近づき、手刀で男の首筋を殴りつけた。気を失い、倒れた男を茂みに隠した。
 男がいた場所に立ってみる。奇妙な事に気づいた。別邸の中でもっとも大きな建物である屋敷から見えにくい。見張るというより、襲う立場に立った方が納得できる場所だ。このまま茂みを縫っていけば人目につかずたどり着くことができる。
 罠。そう思ってから藤悟は考えるのを止めた。罠だとしても役目を遂げるだけのことだ。罠があってもそれをくぐり抜ければいいだけのことだ。
 床下に入り込み、柱を上り、天井裏にあがった。屋敷の中は静まり返っていた。外に比べて、中に入ると見張りらしいものの姿はない。誰かが侵すのを待っていたとしか思えない手薄さだ。
 藤悟は間諜から入手してあった屋敷の間取りを浮かべつつ、人気のない廊下に降り立った。
 すぐ脇にある襖の向こう側には千鳥姫がいるはずだった。音がした。白猫が一匹悠々と廊下を歩いてくる。その姿は堂々としていて、まるで主のようだ。
「任か?」
 襖の向こうから声がした。藤悟も猫も物音は立てていないはずなのに感じ取られたようだった。
「任か」
 藤悟は無言のままそこにいた。声だけではなく、物音を一切発する事なくそこに立ち止まっていた。
 襖が開いた。襖の向うにいたのは童といってもいい年の娘だ。少なくとも噂に聞く、千鳥姫では無かった。
「お静かに」
「何者か?」
 任と呼んだ時とは打って変わった冷ややかな声色だ。
 黒装束に身を包んだ男を前に、懐剣をしっかりと手にしているのは気丈だった。何かあれば自決する覚悟だ。
「問いに答えよ」
 藤悟は頷いた。いかに早く動けても、自分の首を掻き切るのを防ぐ事はできない。
「どこの国のものだ?」
「国はございません」
「では主は?」
「ございません」
 娘の頬が赤くなった。それは怒りの為で、藤悟の正直な答えが、馬鹿にしていると思われたかもしれない。
「話にならない」
 藤悟の目に微かに痛みが走った。同時に焦げくさい臭いがしてきた。藤悟だけでなく娘も気づいたようで顔色が変わった。
「この臭いは何か?」
 藤悟は答えるのを止め、臭いの元を探ろうとあたりを見回した。屋敷の奥から煙が流れてくる。
「お前の仕業か?」
 首を横に振った。
 こちらが助け出す前に、何者かが襲ってきたのだ。先程の男が姫を始末し、火を放つ。そんな筋書きがあったのかもしれない。
「助けに参ったのです」
「助けだと?」
 既に廊下の先には、蛇の舌のような火の手が上がっていた。自然についた火が、こんな早さで広がるわけはない。ただの失火ではなく、着け火の類だ。
 藤悟は体が汗ばんでいるのを感じた。熱さの為ではなく、それは恐れだ。
「どうしたのですか?」
 娘の目にはこちらを気遣うような光が見える。
 ここで火を恐れていてはならない。巻き込まれて、死ぬ。
 藤悟は意を決して、背中を向けた。懐剣でも一刺しで急所を狙える姿勢だ。
「背中におつかまりください」
 娘は藤悟の背中に負ぶさった。
「失礼いたします」
 藤悟は、そのまま手近な戸を蹴り、外に飛び出した。既に屋敷は火に包まれつつあった。
 頭の中で屋敷の図面を思い出しながら走る。
もっとも近い出口に近づくと、背後で声がした。
「姫、姫はいずこか」
 その声は守るものではなく、追うものの高揚に満ちていた。
 娘も何か感じたのか無言のままだ。ただ、恐れているのか、藤悟を掴む手に力がかかる。
「逃げたぞ追え。生かして屋敷を出すな」
 藤悟の感じたものに誤りはなかったようだ。狙われているのは娘のようだ。
 図面を思い出しながら、藤悟は戸の一つを蹴破って外に出た。
 庭には人の姿はない。隠れる事は考えず駆け抜ける。塀が見えてきた。
 これで逃れられる。
「見つけたぞ」
 藤悟の前に男が飛び出してきた。その男は先程、茂みに転がした男だ。
 素早く男の首を殴りつけた。失神し、倒れる男を見ながら、藤悟は振り返った。
 さらに数人の直垂を身に着けた衛士らしいものが向かってくる。
 いける。衛士の動きは無駄が多い。鍛えられた兵士ではない。
 走り出せばもう堀の前だ。飛び越えて外に出ればいい。
 風切る音が響いた。鋭い槍先が藤悟を襲った。
「姫を帰せ」
 その衛士は一本の角を思わせる兜を頭につけていた。藤悟より小柄だが、声の感じから年は、十五・六と同じ程だろう。
 槍が突き出された。しなるようにして閃く槍は、衛士にとり手足の延長のように自然だ。
 達人。そういっていい人間の動きだ。
 槍と無手。まともに戦って勝ち目はない。懐にある苦無を使ったところでも、それは変わらない。槍の長い間合いに入る事は難しい。 衛士は突きかかってくる。間がある。そう思ったのは一瞬で直ぐに眼前に槍の穂先があった。さらに踏み込んでくる衛士に苦無は投げつける。衛士は躱そうとしたせいで、早さが落ちた。だが、落ちただけで槍はまっすぐ伸びてくる。
 殺られる。
「名切ダメ」
「姫」
 脇の娘が声をあげると、槍の速さは鈍り、止まった。
「姫を放せ。そうすれば見逃してやる」
 風切る音が響くと、藤悟と衛士の間に数本の棒手裏剣が突き刺さる。それは衛士の動きを止めた。
「早く逃げるよ」
 何かが目の前に転がった。そう思うと煙が上がって一気に視界を煙に塞いでいく。
「こっち」
 手を引かれ藤悟は走り始めた。
posted by 管理人 at 12:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 種(未完の話)| edit
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